意義とか意味とか愛とか欲とか憎悪とか。


発作を起こす度、私の中の私を凝縮したようなものが色濃く、現れる。

許せない「そういうもの」への憎悪と、

許したい「誰か」への欲求。


以前ブログに書いた通り、

私は実の母親の自殺を止めることを使命に、これまで命を繋ぎ止めてきた。

というより、それもまた使命だった。

「生かすなら、生きてなければいけない」

当たり前のようで、地獄だ。


どんなに苦しんでも、苦しんでる人を生かしたなら、私も生きなければいけない。


どうだこの死に損ないは!!!


世の中で横暴する

「死にたい奴は勝手に死ぬ」

なんて、勝手極まりない言葉。

私は死にたくても死ねなかった。

勝手に死ねなかった。

お前らが否定する、死ねなかった側の人間だ。

可笑しいか、気持ち悪いか、浅ましいか?


死にたいはずなのに、

それに反するように理性と本能と、命に刷り込まれた「生かすなら生きてなければいけない」に動かされ、生きる為の行動をする私を、気持ち悪いと思ってるのは他でもない私自身だ。

それでも死ねないなら、生きていくしない。

私がどれだけ私の事を気持ち悪いと思っても、お前がそう思う筋合いはない。


死ねなかった私は、必死に生きてきた。

「死ねなかっただけだ」なんて言いながら、

必死に惨めに醜く無様に這いつくばって、

今の今まで生きてきた。

そうやって、必死にそれでも尊く生きてきた私を、貴方を、誰かを。

誰が笑っていいというのか!


そんなのクソ喰らえだふざけんな。

私はそんな世界の為に生きてきたんじゃない。

必死に生きてきた人を笑うような世界の為に、心をすり減らしたんじゃない。

私は死に損ないだ。

死ねなかった側の人間だ。

それでも生きたからには自分の大切なものくらい、自分で大切にしたいんだ。


自分で自分を殺せなかった。

だから、必死に生きてきた奴を笑う奴らなんかに、先に殺されてなんかやらない。

いつか自分で自分を殺すまでは、

絶対に、殺されてなるものか。


貴方もそう。

誰かに殺されてはいけない。

自分の命を抱えてしまったからには、

最期に貴方を殺すのは貴方だ。


私が死ねなかったように、貴方も死ねなかったのなら、いつか貴方が貴方を殺せるまで。


貴方の拠点になりたい。

帰る場所になりたい。

貴方が貴方を殺せるまでの仮住まいで良い。

貴方が私の元へ帰ってきてくれる限り、

私は貴方を傷つけるものから殺そうとするものから、貴方を肯定して守りたい。

共に同じ目的を果たす者として、

貴方以上に貴方を大切にしたい。


だから、その覚悟を持っていつか貴方が貴方を殺せるその日まで。


おかえり。