機能不全家族と私達
皆さん、おかえりなさい。
どうしても伝えたい事があるので久々に更新しています。
お時間があれば読んで、必要な人に届けて下さい、力を貸してください。
「機能不全家族」という言葉を初めて今日知りました。
親が子供を支えるという立場が逆転し、子が親を支えている状態の事を言います。
過去の苦しみの大きなひとつでした。
あの苦しみに"名前があったこと"
大きな驚きと安堵を覚えました。
病気や環境、自分の苦しんできた事に名前がついているというのは、なんだか認められたような気がして。
自分の至らなさじゃなかったこと、誰かに共感を求めたり説明する時に信憑性が出ること、自分の現状を1つの分野として確立出来ること。
それだけで、私はだいぶ救われたような気がしました。
今まで「子が親の親をする」と表現していたのですが、この言葉じゃ同じ境遇の方と出会うのは難しかったんです。
それが「機能不全家族」と調べると、沢山いるんです。
ああ、私だけ生意気に苦しんでるんじゃなかった…
思わず泣きそうになりました。
度々「社会を知らない」と言われます。
恐らくそれは否定できない事実なのでしょう。
では何故そこまで無知な人間になってしまったのか?
自分の怠慢を前提として他の理由も探しました。その中で「ああ!これだ!!」というものがあったんです。
「"親の介護や世話に生活の殆どを捧げてきたから"」
こんなとこにも落とし穴が。
子供が親の親代わりをするということは、
親の命を所持しているということ。
想像してみてください。
まだ立って歩き初めの赤ちゃんを世話しているように、柱の私達が少しでも目を離した瞬間大怪我をしたり死んでしまったりする。
子供が親の親をやっている現状があるということは、それを気付いて助けてくれる人が居ないんです。
つまりどういうこと?
赤ちゃんの世話でさえ、旦那さんや親類、色々な施設の協力を得て成り立つのに、機能不全家族の子供はまだ自分が誰かを世話する能力が育っていないのに役割を押し付けられ、それと同時進行で学問にも励まなきゃいけないんです。
そうやって自分の身を削りながら親の親をしていくと、「顔色の伺い方」「介護の仕方」「人を宥める方法」そういう知識だけどんどん増えていって、社会がどうのこうのなんて見てられないんです。
目の前に壊れそうな死にそうな人がいるのに、そのさらに外枠の世界なんて構ってられない。
でもさらに問題なのは、自分が機能不全家族だったということや社会に対して無知だった事は、大人になって初めて気付くんです。
周りの子はこの世界で生きていく大人になる為の勉強をしてきたから大人になっても大体の人が適応して生きていけるのに、20歳という節目で解放された子供であるはずだった人達は気付いたら手元に何も無い。
「普通」がよく分からないし、「当たり前」もそんなのうちの当たり前じゃないし。
いきなり柱の役割から解放されて自由になったって、こんな何も無い私達がどうやっていきてくんだよ。
無責任に言うなよ。
そんな善人ヅラで「もう君は自由なんだよ」なんて言われても遅いんだよ。
なんでもっと早く助けてくれなかったの?
今このまま「大人」になってしまったら、
私達の「子供」はどこいっちゃうの?
どうやって甘えるのかも知らないよ、どうやって抱え込まないで生きてくのか知らないよ、どうやって誰かの責任を負わずに生きていくかなんて知らないよ。
知らない事ばかりだよ、ねえどうしてくれんだよ。
「少しずつ分かっていけばいい」?
じゃあその少しの間に、どれだけの人に見下されて馬鹿にされて避けられて嫌われて傷つかなきゃいけないの?
それもこれも全部わたしが悪いの?
おかしいよね、そんなの。
目の前は闇だし嫌になっちゃうよね。
それを伝えるのも、言葉にするのも難しいし
「それは言い訳で〜」
なんて言われちゃうから。
もう生きるのどうでもいいや〜ってなって、
自分が死にたくなっても支えてくれない。
自分達は人生捧げて親を支えたのに。
なんだったんだろ〜。
そんな気持ちを味わったから、
私はみんなの帰る場所になるって決めた。
どれだけロボットが高機能な時代になったってこの問題は消えないし、人がつけた傷は大抵の場合人にしか治せない。
私はどんな人でも私の所へ帰ってきて欲しいから、「こういう人こそ帰ってきて欲しい」とは言わないんだけど。
私は世の中の人より、ちょっとだけ分かってあげられる。
弱さの出し方とか練習したから、ちょっとだけ役立つかも。
それだけの事なんだけどね。
でも私が私の我儘で「頑張ったね〜」って抱きしめたい。
こんな人が私の時いてくれたらなって存在になりたい。
私からのお願いです。
貴方の痛みで私に勉強させて下さい。
嫌だったら逃げていいから、ほんの少しだけ私に貴方と話す時間をください。
ミスiDは勝手なイメージだけど、そういうコンプレックスを抱えてる人が沢山エントリーしてて、それを応援してる人もそういうコンプレックスを持ってる人が多いんだろうなあって。
ミスiDへの憧れは勿論だけど、そういう人が多いオーディションだからこそ私は此処で頑張っていきたい。
何度も言うけど、助けを求めている人が探さなくても見つかる心の拠り所になりたい。
頑張るね。
読んでくれてありがとう!!
いってらっしゃい…!!!
8月31日の貴方へ
私は貴方の人生の完全プロデュースなど絶対にしない
私は貴方の人生の完全プロデュースなど、
絶対にしない。してやるものか。
私の夢は「皆の帰る場所」。
皆か帰ってきて、私はそれを迎えて幸福について語り合い、幸せになる道を見つける。
時には休んで、愚行権を行使し、そして旅の支度をする。
私がやりたいのは、
ここに居るのは「貴方と私と一人一人」というコンセプトで、それぞれの人生でそれぞれの異なった幸福を叶えるということ。
私が、カラスが白と言ったら白になるような、そんな幸福ではない。
貴方が、帰る場所で見つけたピースを自分で組み立てて、貴方自身で人生を作って欲しい。その為なら、幾らでも力になる。
人生というのは、例えば髪型や服装にメイク、好きな食べ物、生活習慣まで。
他人に決定権を丸投げしてしまえば、凄く楽である。
何かあったら自分の責任ではなくなるし、何より命の重みが自分にないから。
でもそれじゃあいけないんだよ。
どんなに辛い過去があっても、貴方の人生で誰もそれを変わってはくれない。
貴方は貴方一人分の命の重みを噛み締めないといけない。
それは多くの人にとっては、苦痛で仕方ないかもしれない。
でもそれが多分、"生きる"って事だから。
貴方が生きるのに、苦しい時悲しい時怖い時切ない時その時の為に帰る場所がある。
いつでも私は待っているよ。
私は、私からみた意見や励まししか出来ないけど、一緒に悩みながら人生を作っていこう。
もし今までが散々な人生だったのなら、これからの人生を今までの人生を背負ったまま、幸福を重ねていこう。
何度もいう。
私は貴方の人生の完全プロデュースなど、絶対にしない。
貴方が貴方自身の幸せを見つけるまでいつまでも、帰る場所としてそばに居るから。
安心して、大丈夫。
そして、いつか教えて下さい。
「私の幸せはこうでした」と。
100人いるなら100人の幸せを聞きたい。
同じ物などひとつも無い、100人分の幸せを。
それを楽しみに、私も生きていこう。
私は貴方の人生の完全プロデュースなど絶対にしない
私は貴方の人生の完全プロデュースなど、
絶対にしない。してやるものか。
私の夢は「皆の帰る場所」。
皆か帰ってきて、私はそれを迎えて幸福について語り合い、幸せになる道を見つける。
時には休んで、愚行権を行使し、そして旅の支度をする。
私がやりたいのは、
ここに居るのは「貴方と私と一人一人」というコンセプトで、それぞれの人生でそれぞれの異なった幸福を叶えるということ。
私が、カラスが白と言ったら白になるような、そんな幸福ではない。
貴方が、帰る場所で見つけたピースを自分で組み立てて、貴方自身で人生を作って欲しい。その為なら、幾らでも力になる。
人生というのは、例えば髪型や服装にメイク、好きな食べ物、生活習慣まで。
他人に決定権を丸投げしてしまえば、凄く楽である。
何かあったら自分の責任ではなくなるし、何より命の重みが自分にないから。
でもそれじゃあいけないんだよ。
どんなに辛い過去があっても、貴方の人生で誰もそれを変わってはくれない。
貴方は貴方一人分の命の重みを噛み締めないといけない。
それは多くの人にとっては、苦痛で仕方ないかもしれない。
でもそれが多分、"生きる"って事だから。
貴方が生きるのに、苦しい時悲しい時怖い時切ない時その時の為に帰る場所がある。
いつでも私は待っているよ。
私は、私からみた意見や励まししか出来ないけど、一緒に悩みながら人生を作っていこう。
もし今までが散々な人生だったのなら、これからの人生を今までの人生を背負ったまま、幸福を重ねていこう。
何度もいう。
私は貴方の人生の完全プロデュースなど、絶対にしない。
貴方が貴方自身の幸せを見つけるまでいつまでも、帰る場所としてそばに居るから。
安心して、大丈夫。
そして、いつか教えて下さい。
「私の幸せはこうでした」と。
100人いるなら100人の幸せを聞きたい。
同じ物などひとつも無い、100人分の幸せを。
それを楽しみに、私も生きていこう。
最近の幸福と希望の光
皆さんこんにちは、おかえりなさい。
最近、やはり絶望的な気分は続くものの幸せも沢山溢れてるように感じます。
ミスiD初めてセミファイナルまでいって、セミファイナルまで進む過程で沢山の人に推薦やツイート、Cheerzまで応援して頂きました。本当に心から感謝致します。
最近DMで励ましのメッセージも頂きます。
ひとつひとつ全てに返信してますが、嬉しすぎてなんと言葉にしていいのか分からず、返信に少し時間がかかります。
この、悩んでる時間がなんともどかしく、そして幸福たるや。
私は子供の頃虐待や発達で孤立してきました、特殊な環境下でしたのでなかなか相談も出来ず、口を噤んでいたら周りも私に口を噤むようになりました。
自分からうちあけて、迎える体制でなければ誰も受け入れてなどくれないと頭では分かっていたのです。
でも、それがどうしても難しくて。
ならもう、言葉など「与えられる側ではないんだ」と諦めてしまえばいいと、そう思っていた訳です。
ですが、虐待から解放されて少しずつ自分の内情を話していくとこうして温かい人に恵まれ、昔では考えられなかった気遣いや優しさを受け取り、私はとても幸せでございます。
口下手なのはなかなか治らないと思います、でもはっと思いついた時に少しでもこうして文に残せていけたらと良い思います。
最近「Angel Beats!」というアニメを見返しました。
「どんな人生だったとしても、それはお前の人生だろ!紛い物なんかに簡単に塗り替えてしまってはいけないんだ!」
何度見てもそのシーンは、私に衝撃を与え、振り返えさせられます。
私も、この人生塗り替えたくない。
トラウマとして今も自分を苦しめてしまうほど禍々しい過去も、私の人生。
この人生を背負って輝きたい。
私は、きっと進み続けるでしょう。
次に輝くのは私の番だとわ泣いても、喚いても、這いずり回っても、いつか誰かを希望の光で灯せるように。
いってらっしゃい。
最近の幸福と希望の光
皆さんこんにちは、おかえりなさい。
最近、やはり絶望的な気分は続くものの幸せも沢山溢れてるように感じます。
ミスiD初めてセミファイナルまでいって、セミファイナルまで進む過程で沢山の人に推薦やツイート、Cheerzまで応援して頂きました。本当に心から感謝致します。
最近DMで励ましのメッセージも頂きます。
ひとつひとつ全てに返信してますが、嬉しすぎてなんと言葉にしていいのか分からず、返信に少し時間がかかります。
この、悩んでる時間がなんともどかしく、そして幸福たるや。
私は子供の頃虐待や発達で孤立してきました、特殊な環境下でしたのでなかなか相談も出来ず、口を噤んでいたら周りも私に口を噤むようになりました。
自分からうちあけて、迎える体制でなければ誰も受け入れてなどくれないと頭では分かっていたのです。
でも、それがどうしても難しくて。
ならもう、言葉など「与えられる側ではないんだ」と諦めてしまえばいいと、そう思っていた訳です。
ですが、虐待から解放されて少しずつ自分の内情を話していくとこうして温かい人に恵まれ、昔では考えられなかった気遣いや優しさを受け取り、私はとても幸せでございます。
口下手なのはなかなか治らないと思います、でもはっと思いついた時に少しでもこうして文に残せていけたらと良い思います。
最近「Angel Beats!」というアニメを見返しました。
「どんな人生だったとしても、それはお前の人生だろ!簡単に塗り替えてしまってはいけないんだ!」
何度見てもそのシーンは、私に衝撃を与え、振り返えさせられます。
私も、この人生塗り替えたくない。
トラウマとして今も自分を苦しめてしまうほど禍々しい過去も、私の人生。
この人生を背負って輝きたい。
私は、きっと進み続けるでしょう。
次に輝くのは私の番だとわ泣いても、喚いても、這いずり回っても、いつか誰かを希望の光で灯せるように。
いってらっしゃい。
ミスiD2021 夢見る頃を過ぎても
皆様おかえりなさい。
久しぶりの更新になります。
ミスiDカメラテストを終え落ち着くどころか胸のドキドキが止まらない毎日です。
さて、本当に今更ですがミスiD2021のテーマである「夢見る頃を過ぎても」について考えていきたいと思います。
夢見る頃を過ぎても…"過ぎても"
ん…あれ…?
私夢見る事をやめた事ないな?
例えば「死にたい」と思ってしまった時ですら、私の死を1つの武器として周りの世界に影響を与える事を、夢見ていました。
そう考えると本当に夢見てない時がない。
常に絶望もそのエネルギーを夢に変換して生きてきました。
じゃあ私にとって今回のテーマ「夢見る頃を過ぎても」はどういうこと?
ああ、そうだ。私じゃない。
これは、私が救いたい人達の事を言ってるんだ。
貴方達に私の存在で伝えたいことだ。
そもそもテーマに否定的で悪いんですが、夢を見るのに「頃」なんてない。
夢を見るのに「旬」もない。
夢を見るのに「権利」も「許し」も必要ない。
夢に「大きさ」も関係ない。
夢という言葉のボリュームに騙されて、"立派な夢を持たなきゃ"ってよく言うけど。
立派ってなに?
人の命を助ければ立派?頭のいい学校に行けば立派?給料のいい仕事につければ立派?
夢に立派なんて言葉を付けるのがダサい。
夢はどんな夢でも、抱いている人にはとっても大切で誰かが外から推し量れるものでは無い。
大切な物抱えてる時人は強くなります。
「この夢を叶えたい」そういう願望そのものが大きなエネルギーとなって、貴方を悩ませて新しい世界に連れて行き、また新しい夢を見させてくれるんです。
自分には夢がないな、って私はよく相談されるんですが「夢を持ちたい」という気持ちそのものが「夢」なんじゃないでしょうか?
夢や欲求が本当にひとつも無いと、多分貴方は苦しんでないし悲しんでもない。
貴方が、何かしらに苦しみや悲しみを抱えているならどこかに貴方の夢が隠れてます。
「夢を認識したくない」って人も多いと思います。
昔私も思ったんですけど、だって夢なんて持ったら生きちゃうじゃんって。
夢は生命力によく似ています。
夢をしっかりと見てしまうと、自分がしている"生きるという行為"にどうしても目を向けてしまうことになるんです。
ああもうやだな、全て投げ出したいなって人には相当な苦痛です。
そういう人のね、隣に寄り添いたいんです。
その人から見たら自分の邪魔をしてくる「夢」って存在。
私達貴方を大切な人からしたら、あなたを繋いでくれてる「夢」って存在。
夢を捨てれないなら、飼い慣らしちゃえばいいんだよって。
勿論、自分に爪を立ててきた夢が一瞬で可愛い子犬ちゃんになるわけありません。
だから、「帰る場所」があるんだよ。
夢を飼い慣らす為に、夢を分析したりちょっと遠くから見てみたり、他の人の夢を覗いて見たり、多分貴方独りじゃ難しいこと。
夢の根源となっている過去やきっかけだって独りで探るには心が疲れるし体も疲れるし、支えてくれる人がいた方が絶対に良い。
夢はいつだってすぐそこに存在してるから、腰を落ち着けてゆっくり向き合っていこう。
長期戦になるけど、あなた一人じゃない。
貴方が恨めしく思ってた「夢」が、
貴方を強く輝かせる「夢」になったとき、
貴方はもっと新しい世界を知り、もっと沢山の夢が生まれ、もっと沢山の感情が生まれ、もっと沢山の希望を知る。
もう一度、
夢を見るのに「頃」なんてない。
夢を見るのに「旬」もない。
夢を見るのに「権利」も「許し」も必要ない。
夢に「大きさ」も関係ない。
さあ、私に夢を聞かせて。
温かいお家の中で、語り合おう。
おかえりなさい。