「警察官をクビになった話」について

お久しぶりです、さえです。
段々と寒くなってきましたね。
今日はどうしてもお話したい話題があったので
ご紹介します。

https://www.keikubi.com/entry/2018/10/28/175934

【警察官をクビになった話】

皆さんはもう読みましたでしょうか?
読んでない方がいたら今すぐ読みに行って下さい。
凄く衝撃的なお話ですが、そこに書かれているのは紛れもない「現実」。
漫画やブログといった情報を伝える手段は、「非」現実だと勘違いされてしまう事が多いですが、
此方のブログはそう感じさせない力があります。

警察学校での人工拷問地獄。
1番印象に残ったのが、
【自分は「正しい」と思うほど人は残酷になってしまう。】
ああ、それだ。と思いました。

人は"共通の敵"を作り、派閥を作ります。
それは例えば戦争であったり、性的概念であったり、「普通」と言われるもののラインであったり。
そして派閥を組んだ人達は、その派閥の中でだけコミュニケーションを深め賞賛し合います。
そうすると一種の洗脳状態に陥るわけです。
派閥の中の小さな世界を全ての世界の意思だと思うようになるんです。
或いは宗教もそういうものかもしれません。

洗脳が強い程人はリスクを恐れません。
人間の中の「恐怖」や「罪悪感」といった感情がブレーキになっていたものが、全て個々から抜け落ちるからです。

私を取り巻いた環境で、
虐待を虐待だと認識出来た者はいませんでした。
皆これを「感情の成り行き」であり、
そして「個々の感情は尊ぶべき」だと思っていました。
言葉だけ聞くと、平等であり正当だと思ってしまいますよね。

「正しい」という感情は、時に人を盲目にして、残酷な自体を招くことになります。
「正しさ」に本来、攻撃を含むものではありません。相手を攻撃してしまえばそれは「正しさ」以前の問題になります。

そして、もう1つ私が気になったのは
「復讐することは果たして正しいのか?」
という、問いです。
「復讐」という言葉には、他人を攻撃するようなニュアンスが込められてしまっているので、
先程言った通り、"他人を攻撃する事に対して正しさを論点にするべきでは無い"と思います。

今回の件は個人的に「復讐」ではなく、
「受けた傷に対するお返事」であるので、
大きな流れのひとつの工程でないかと考えます。
誰かを傷つけてしまった報いは、どんな形であれ帰ってくる。
警察側にそれがただ帰ってくるというだけのこと。
なのでこれに関しても「正当さ」は議論に成り得ないと思います。

「過去は過去として……」
とか、そういうのは全然違います。
過去の積み重ねが自分である限り、
納得出来ないまま、もしくは自分の中でソレを噛み砕けなければいけません。
でもそれは苦しくて悲しくて、怒りで身が焼け焦げる思いで、とても難しいことなんです。
簡単に過去に出来てしまうものなら、そもそもそもそもその人の中で苦しみとして存在していないでしょう。
「過去に囚われている」のではありません。
「所有している過去を整理している」んです。

私達はもう一度深く考え直す必要があります。
狭まってしまった「正しさ」が、誰かを傷つけていい理由にはなりません。
もし傷つけてしまったなら、貴方はひとつの流れとして帰ってくることを受け入れなければいけません。

彼にこれからたくさんの幸福が舞い込んできますように。