ミスSNS2019


皆さん、お久しぶりです。さえです。


この度、ミスSNS2019二次審査通過させて頂きました、ありがとうございます!!!!


私嬉し過ぎて表情筋が迷子です。

そして、嬉しい事を嬉しいと感じられることにまた幸せを感じています。


私は人より憎しみや怒りやトラウマを多く所持しています。だからこそ、新鮮な感情を常に外部へ発信できます。

でも発信するだけでは、いつまでも閉まらない踏切信号です。

どうにかして、私はこの怒りを、発信するだけではなく何か他のものへと変えてあげなくちゃいけない、例えば目覚まし時計とか。


私の苦しみは私だけのものですし、

貴方の苦しみは貴方だけのものです。


ですから、私が貴方の苦しみを分かることはこれからもないでしょう。


でも貴方が苦しめば、私は自分の苦しみを彷彿とさせ、フラッシュバック(再体験)します。貴方と一緒に苦しみます。

私の苦しみだけれど、私はこれを貴方の苦しみ「のようなもの」だと思うでしょう。


私はこの「のようなもの」を、感じる度、絶対負けたくない許さない取り返してやると思います。そして、どうにか貴方をどうにか絶望から引き上げたいと。


皆さんは、私のこの文を読んで「のようなもの」を感じましたか?

私が示してるのは、決意と希望です。

私の所へ帰ってきてください。

SNSは帰路。


どうぞ、

おかえりなさい。


 https://www.miss-sns.jp/145/

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Twitter:@saenoyume

「警察官をクビになった話」について

お久しぶりです、さえです。
段々と寒くなってきましたね。
今日はどうしてもお話したい話題があったので
ご紹介します。

https://www.keikubi.com/entry/2018/10/28/175934

【警察官をクビになった話】

皆さんはもう読みましたでしょうか?
読んでない方がいたら今すぐ読みに行って下さい。
凄く衝撃的なお話ですが、そこに書かれているのは紛れもない「現実」。
漫画やブログといった情報を伝える手段は、「非」現実だと勘違いされてしまう事が多いですが、
此方のブログはそう感じさせない力があります。

警察学校での人工拷問地獄。
1番印象に残ったのが、
【自分は「正しい」と思うほど人は残酷になってしまう。】
ああ、それだ。と思いました。

人は"共通の敵"を作り、派閥を作ります。
それは例えば戦争であったり、性的概念であったり、「普通」と言われるもののラインであったり。
そして派閥を組んだ人達は、その派閥の中でだけコミュニケーションを深め賞賛し合います。
そうすると一種の洗脳状態に陥るわけです。
派閥の中の小さな世界を全ての世界の意思だと思うようになるんです。
或いは宗教もそういうものかもしれません。

洗脳が強い程人はリスクを恐れません。
人間の中の「恐怖」や「罪悪感」といった感情がブレーキになっていたものが、全て個々から抜け落ちるからです。

私を取り巻いた環境で、
虐待を虐待だと認識出来た者はいませんでした。
皆これを「感情の成り行き」であり、
そして「個々の感情は尊ぶべき」だと思っていました。
言葉だけ聞くと、平等であり正当だと思ってしまいますよね。

「正しい」という感情は、時に人を盲目にして、残酷な自体を招くことになります。
「正しさ」に本来、攻撃を含むものではありません。相手を攻撃してしまえばそれは「正しさ」以前の問題になります。

そして、もう1つ私が気になったのは
「復讐することは果たして正しいのか?」
という、問いです。
「復讐」という言葉には、他人を攻撃するようなニュアンスが込められてしまっているので、
先程言った通り、"他人を攻撃する事に対して正しさを論点にするべきでは無い"と思います。

今回の件は個人的に「復讐」ではなく、
「受けた傷に対するお返事」であるので、
大きな流れのひとつの工程でないかと考えます。
誰かを傷つけてしまった報いは、どんな形であれ帰ってくる。
警察側にそれがただ帰ってくるというだけのこと。
なのでこれに関しても「正当さ」は議論に成り得ないと思います。

「過去は過去として……」
とか、そういうのは全然違います。
過去の積み重ねが自分である限り、
納得出来ないまま、もしくは自分の中でソレを噛み砕けなければいけません。
でもそれは苦しくて悲しくて、怒りで身が焼け焦げる思いで、とても難しいことなんです。
簡単に過去に出来てしまうものなら、そもそもそもそもその人の中で苦しみとして存在していないでしょう。
「過去に囚われている」のではありません。
「所有している過去を整理している」んです。

私達はもう一度深く考え直す必要があります。
狭まってしまった「正しさ」が、誰かを傷つけていい理由にはなりません。
もし傷つけてしまったなら、貴方はひとつの流れとして帰ってくることを受け入れなければいけません。

彼にこれからたくさんの幸福が舞い込んできますように。

効率的な努力


こんにちは、さえです。
少し涼しくなってきましたね、秋だー!!!

今日は休憩日、ごろごろしてます。
休憩日って言っても本当の意味での休憩は
なかなか出来ない。
精神病持ちは休憩って言う名の
「体調借金返済日」になる。
日々の気力や体力や諸々の前借りした分を
休みの日にドドドッと背負うから
微熱が出たり、体が動かなかったりするの。
この「体調借金返済日」をなんとか乗り切って
また日々の生活に戻って頑張っての繰り返し。

すごく辛いけどね、すごく辛いけど
これを繰り返しながら闘病をして
なんとか「人並みの生活」を手に入れるの。

私は人より、体力も気力も、技能も、金銭も
持ち合わせていないから、上手く日々を回す。

いつも可愛く元気で明るく前向きには無理!!!!

なんでも頑張るとか絶対、やだ!!!!
頑張る事を取捨選択する!!!!!!

例えば100頑張って成果が10とかそういうの。
私なら、100頑張って、100以上の価値があるものだけ選んでいく。
「非効率な努力」が世の中では賞賛されるけど
その非効率さで手にした「結果」が賞賛されているのではなく、「人間的成長」を賞賛されるんだよ。

効率的に取捨選択して努力をする分
絶対に「より吸収する」って決めているから
私はもっと成長するんだ。

「やりたくない事も努力するのが大切」
なんて、常套文句だな。
やりたくない事をやりたくないままやって
やった事にも結果にも価値を感じないなら
その分の時間の価値を捨てた気にすらなる。

自分で選択できないまま流されて
流れ着いた先がある種の地獄で
あとから気付いてももう選択する余地もない。
そんな事に絶対なっちゃダメだよ。

自分に何が必要か何が不要か。
自分は何を持ってて、何が不足してるか。
自分はどこまで出来るか、どこから出来ないか。
「自分で選択して見極める力」
それを大切にしていこうね。

こんばんわ、さえです。

今、すごく、とても、満たされてるんです。
まだ詳しい事は内緒だけど、
嬉しい報告があって、
素敵だって褒めて貰えて、
優しくされて、
お仕事も色々計画がたって、
これからやりたいことが沢山あって、
大切だと思える人がいて。

「幸せ」です。

幸せって感じる気持ちって不思議。
満たされてるのに、重くなくて、躍動的で、
自然と頬が持ち上がって、息を深く吐ける。
自然と視線は上に、足も軽くて、世界がリアルで

それになにより、もっと優しくなれる気がする。

私はもっと、優しくて、素敵な女の子になれる。
想像するだけで、もう、楽しくて嬉しくて。
未来を肯定できるって、奇跡みたい。

Twitterに書いたんですけど、
大事なことなのでもう1回。


「世界を壊す」のは、多分誰にでも出来る。
包丁を持って街中へ飛び出して、振り回してしまえば、色んな世界を簡単に壊してしまえる。

でも、「世界を生かす」のは
貴方が貴方でいて、私が私でいなければ出来ない。
それはとても難しい事だけど、一緒に頑張ろうね。

私は、人より沢山の事が劣るけど
「大切な人を大切にしたい」気持ちは、
絶対に負けないよ。

大切な人の「嫌いな世界を壊す」のではなく、
大切な人の「愛する世界を生む」事を、
私は選ぶよ。

生きるのはすごく苦しくて、恥ずかしくて、情けなくて、辛くて、苦くてしょうがないけど。
でも苦しくても、「大切な人の愛する世界を生んで生かす」のは、生きるに値する。

傷付いた人が強くなるのはただの他者の願望。
実際は人より、弱くなってしまうことが多い。
でも、弱者には弱者であるからこその口渇があって
その「口渇を満たそうとする強い力」は確かに存在するから。それを希望に変えてこうね。

私はここにいるから、一緒に少しずつ。
その、弱者だからこその力で世界を生かして
新しい世界を見せてやろうね。

私と貴方なら大丈夫だよ。

8月31日の貴方へ

お久しぶりです、さえです。

今日、8月31日。
これから人生が続いていくことに絶望した人達の
沢山の悲しい人達の命日です。

NHKで自殺をしたい人達への
メッセージの番組がやっています。

人の苦しさに強く語りかける大森靖子
発達障害を抱えてモデルとして活躍する栗原類
いじめの過去があるしょこたん
選ばれてる人が本当に厳選されてる。

私も3年前の今頃、死にたかったなあ。
別に8月31日に特別な意味があるんじゃなくて
これから人生が続いていく途方のない地獄に
何も価値を感じられなかった。
これから先も身を割くような苦しさがあるのは明白で、いつたどり着くか分からない「救い」に無心に走り続けろなんて、もうそんな心はとっくに折られていた。そんなの出来るはず無かった。
いじめられてはいないけど、誰かが途方のない苦しみに気づいてくれることもなかった。
「きっと皆私が死んだ2日後に気付くんだ、ざまあみろ」と、メモ帳に書いては塗り潰して破って捨てて、そんな事も馬鹿みたいで泣けてきて。
涙が1滴流れては止まって、乾いた頃にまた流れて、止まって、流れて。
上手く泣くことすら出来ないのも全て情けなく感じて、夜になったら生温い暗闇が晴れるのを待って、朝になったら目障りな光が沈むのを待つのを繰り返した。

何とか生き延ばして生きてる。
その日々が無駄じゃなかったって。言いたい。
実際に無駄じゃなかったのか分からないけど、
無駄じゃなかったって、言い張りたいんだ。

いつか本当に、無駄じゃなかったって心から言えたら、私は絶対に、貴方にもそう思わせてみせるよ。

洋服

こんばんわ、さえです。

お気に入りのワンピース。
台湾のH&Mで去年買ったものです。

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これも去年のポートレート、お気に入りです。

着る洋服で「イメージする背景」が違うのって面白い。なんでかな、不思議。
私はいろんな系統の服を着るし、新品も古着も、フリフリもシンプルも好き。
今日は「どんな女の子になりたいか」で服を選んで、メイクも変えて、もしかしたら歩き方も違うかも。
自分のイメージを固定しないで、気分によって色んな女の子になれるのって楽しい!!!!!
「私は何処にでも行けるんだ」って思う。

前まで、洋服は足りない自分を隠すものだって思ってました。でも洋服って、自分の要素を残してなりたい自分に近付くものなんだなって最近考えてます。
洋服を着られるんじゃなくて着れる幸せ。

でも落ち込んでる時ってそうも言ってられない。
可愛い服が全部私を責めたててくる。
大好きな大森靖子ちゃんの「君に届くな」の歌詞、
「新作とかもう出なきゃいいのに、変わらない私が古くなっていくみたい。」というのがあって、
ものすごく、わかるーーーーってなる。
前の流行りの服を着て、下を向いていると世界に取り残されてる気がする。

流行りじゃなくても、私が着たらなんでも輝くようになりたい。頑張ろうね、私も貴方も。

ここにいるからね。