川崎事件

居てもたってもいられないから、書きなぐる。


お願いだから、目を逸らさないで欲しい。


殺人犯が『わかりやすい圧倒的悪』なだけで、責任は彼全てにある訳じゃない。


「殺人犯」は、誰もが最初から「殺人犯」では無い。

そうならざるを得なくなった、成れの果てだ。

もしくは、私達の未来かもしれないんだ。


彼は、4本の刃物を所持していたという。

4本の刃物を、用意する時の彼の心情は、全てが恨みだったのか、誰かへの願望だったのか、今はもう誰も知らない。

もし、私達がもっと前に彼とよく話していたら、あるいは耳を傾けていたら·····?

彼が求めていたものは、何か分からないけど。例えばそれが、世の中への不平不満や過去の辛い経験や、どうしても飲み込めない不安だとしたら·····?


私達がもっと早く気付いていれば、この痛ましい事件は起こらなかったかもしれない。

この事件に限ったことじゃない。

様々な事件の、「絶望した殺人犯」を絶望しきってしまう前に何か手を打てていたら、救われた命は沢山あったはずだ。


失われた命をただ嘆き、1人の殺人犯に全ての悪と責任を押し付ける。


それではいけない。

それではいけないんだよ。


私達のやらなければいけないことは、

この社会を変えることだよ。

殺人犯になってしまう前に、「誰か助けてくれ」と声を上げられる空気を作ること。

どうしようもない闇を抱えてないか、抱えていたならばどうにか少しでもその闇を抜いてあげられないか考えて行動すること。

「守りを徹底して殺させないと宣言する」

「予算を割いて警備を厚くする」

じゃない。

「貴方が殺人犯になる必要は無いんだ」と、

そう何度でもの声に出して教えること。

「分かりやすい悪」をだけに全てを押し付けないで、私たち一人一人の悪を自覚すること。


誰だって甘い蜜だけ吸っていたい。

貴方が甘い蜜だけを吸って、たらい回しにされてしまった苦味が、今誰かの元で、どうしようもなく燻っている。

貴方が、少し苦味を我慢するだけで、救える命が人間がいるかもしれない。


今も私達が甘い蜜を吸っている中、燻った苦味に耐えられず、ナイフを握りしめようとしてる人がいるかもしれない。


これはフィクションじゃない。

ドラマでもアニメでも映画でもない。

どれだけメディアを介して報道されても、SNSで回り回っても。

これは、悲しいくらい現実だ。


それも、どこかの誰かの話ではない。

燻った苦味は、貴方のすぐ側にある。


目を逸らさないで欲しい。

私達が持つべき苦味を。




ここからは私の話。

不謹慎だと、言われるだろう。

私も家族を殺そうと何度も思った事がある。

そして、彼らを殺す事は「救い」だと信じて疑わなかった。

彼らは、こんな地獄のような救いのない世界で生きている。

生きている限り救われることは無い。

ただ彼らは生きてる限り苦しまないといけない。

何故そう言いきれたかというと、私が紛れもなくその1人で、そして私は彼らと同じ境遇にいて、彼らが良く泣いて苦しんで、暴力やギャンブルや薬に堕ちて行くのを見てたからだ。

私は誰よりも家族を愛していた。

愛していたからこそ、殺さなければいけなかった。

「今、私が殺してあげなければ」

それが私にとっての愛で優しさで慈悲だった。

今はもう過去の話しだが、私は狂っていなかった思う。

ああいった状況に追い込まれた人が見つけるある種の「正解」だったんだと思う。

母からも聞いた「家に火をつけてみんな殺そうと思ったことがある」

父からも聞いた「母親をもう殺してやろうと思ったことがある」

 

それを知っているのは、私達だけという事実も。

この目を逸らされたことで、悪人にされてしまった人達だけが知る事実だ。


私自身も、私の母も、私の父も、私の兄も。

たまたま、誰も殺人犯じゃない。


たまたま、免れた。


そう、たまたま、偶然、運良く。




目を逸らさないで欲しい。