ミスiD2021 夢見る頃を過ぎても
皆様おかえりなさい。
久しぶりの更新になります。
ミスiDカメラテストを終え落ち着くどころか胸のドキドキが止まらない毎日です。
さて、本当に今更ですがミスiD2021のテーマである「夢見る頃を過ぎても」について考えていきたいと思います。
夢見る頃を過ぎても…"過ぎても"
ん…あれ…?
私夢見る事をやめた事ないな?
例えば「死にたい」と思ってしまった時ですら、私の死を1つの武器として周りの世界に影響を与える事を、夢見ていました。
そう考えると本当に夢見てない時がない。
常に絶望もそのエネルギーを夢に変換して生きてきました。
じゃあ私にとって今回のテーマ「夢見る頃を過ぎても」はどういうこと?
ああ、そうだ。私じゃない。
これは、私が救いたい人達の事を言ってるんだ。
貴方達に私の存在で伝えたいことだ。
そもそもテーマに否定的で悪いんですが、夢を見るのに「頃」なんてない。
夢を見るのに「旬」もない。
夢を見るのに「権利」も「許し」も必要ない。
夢に「大きさ」も関係ない。
夢という言葉のボリュームに騙されて、"立派な夢を持たなきゃ"ってよく言うけど。
立派ってなに?
人の命を助ければ立派?頭のいい学校に行けば立派?給料のいい仕事につければ立派?
夢に立派なんて言葉を付けるのがダサい。
夢はどんな夢でも、抱いている人にはとっても大切で誰かが外から推し量れるものでは無い。
大切な物抱えてる時人は強くなります。
「この夢を叶えたい」そういう願望そのものが大きなエネルギーとなって、貴方を悩ませて新しい世界に連れて行き、また新しい夢を見させてくれるんです。
自分には夢がないな、って私はよく相談されるんですが「夢を持ちたい」という気持ちそのものが「夢」なんじゃないでしょうか?
夢や欲求が本当にひとつも無いと、多分貴方は苦しんでないし悲しんでもない。
貴方が、何かしらに苦しみや悲しみを抱えているならどこかに貴方の夢が隠れてます。
「夢を認識したくない」って人も多いと思います。
昔私も思ったんですけど、だって夢なんて持ったら生きちゃうじゃんって。
夢は生命力によく似ています。
夢をしっかりと見てしまうと、自分がしている"生きるという行為"にどうしても目を向けてしまうことになるんです。
ああもうやだな、全て投げ出したいなって人には相当な苦痛です。
そういう人のね、隣に寄り添いたいんです。
その人から見たら自分の邪魔をしてくる「夢」って存在。
私達貴方を大切な人からしたら、あなたを繋いでくれてる「夢」って存在。
夢を捨てれないなら、飼い慣らしちゃえばいいんだよって。
勿論、自分に爪を立ててきた夢が一瞬で可愛い子犬ちゃんになるわけありません。
だから、「帰る場所」があるんだよ。
夢を飼い慣らす為に、夢を分析したりちょっと遠くから見てみたり、他の人の夢を覗いて見たり、多分貴方独りじゃ難しいこと。
夢の根源となっている過去やきっかけだって独りで探るには心が疲れるし体も疲れるし、支えてくれる人がいた方が絶対に良い。
夢はいつだってすぐそこに存在してるから、腰を落ち着けてゆっくり向き合っていこう。
長期戦になるけど、あなた一人じゃない。
貴方が恨めしく思ってた「夢」が、
貴方を強く輝かせる「夢」になったとき、
貴方はもっと新しい世界を知り、もっと沢山の夢が生まれ、もっと沢山の感情が生まれ、もっと沢山の希望を知る。
もう一度、
夢を見るのに「頃」なんてない。
夢を見るのに「旬」もない。
夢を見るのに「権利」も「許し」も必要ない。
夢に「大きさ」も関係ない。
さあ、私に夢を聞かせて。
温かいお家の中で、語り合おう。
おかえりなさい。